高島屋の歴史
日本の近代商業の発展を語る上で、日本を代表する老舗百貨店「高島屋」の歩みは欠かすことができない重要な歴史の一ページです。京都の小さな古着・木綿商から始まり、時代の荒波を乗り越えながら、世界的な美術工芸品の輸出商へ、そして先進的な近代百貨店へと変貌を遂げてきた高島屋の歴史は、日本の商業文化の洗練とグローバル化、そして人々の生活様式の変遷をそのまま象徴しています。
高島屋の歴史は、江戸時代末期の天保2年(1831年)、創業者である飯田新七が京都の烏丸高辻で小さな古着・木綿商を開業したことに始まります。店名は、新七の義父の出身地である近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)に由来して「高島屋」と名付けられました。創業当初の店舗は極めて慎ましいものでしたが、新七は「信用第一」と「お客様本位」の姿勢を徹底し、確かな品質の品物を真面目に商うことで着実に顧客の信頼を獲得していきました。
明治維新を迎えると、日本は急速な西洋化と近代化の時代へと突入します。京都の伝統産業であった和装・織物業界も大きな変化を余儀なくされましたが、高島屋はこの時代の変化を飛躍の機微と捉えました。二代飯田新七らは、日本の優れた伝統織物技術や刺繡技術を西洋の美術工芸品と融合させ、新たな価値を創造する挑戦を開始します。
明治中期、高島屋は貿易事業に本格参入し、自社で開発した「刺繡壁掛」や「天鵞絨(ビロード)友禅」といった極めて芸術性の高い繊維工芸品を欧米の万国博覧会に相次いで出品しました。パリやセントルイスなどの博覧会で最高賞を受賞した高島屋の工芸品は、海外の皇室や貴族、富豪たちを魅了し、「美術高島屋」としての評価を世界的なものとしました。この時期に養われた高い美意識と芸術への深い造詣、そして「本物」を追求する姿勢は、後の高島屋の企業風土や美術画廊の運営に強く引き継がれていくことになります。
2000年代の百貨店へと繋がる決定的な転換期となったのが、20世紀初頭における「座売り」から「陳列販売」への移行と、店舗の近代化でした。それまでの日本の呉服店は、客が座敷に上がり、店員が奥から商品を持ってきて見せる「座売り」が一般的でした。しかし高島屋は、客が靴のまま店内に入り、ガラスケースに飾られた商品を自由に見て回れる洋式の陳列販売をいち早く導入しました。1909年には合名会社高島屋呉服店を設立し、京都、大阪、東京の主要都市に店舗を構え、呉服商から総合的な近代商業企業への脱皮を推し進めました。
昭和に入ると、高島屋は近代的な大型百貨店としての規模を急速に拡大していきます。その象徴となったのが、1932年(昭和7年)に竣工した大阪・難波の南海ビルディング(現在の大阪店)や、1933年(昭和8年)に開店した東京・日本橋店です。特に日本橋高島屋は、東洋の伝統美と西洋のコンクリート建築技術を高次元で融合させた最高峰の建築であり、冷暖房完備の快適な空間やエレベーターガールの配置など、当時の都市生活者にとって憧れの近代文化を体験できる夢の空間となりました(この日本橋高島屋本館は、後に百貨店建築として初めて国の重要文化財に指定されています)。
しかし、第二次世界大戦の勃発により、高島屋も多大な苦難に直面します。戦時体制下の物資統制や商業活動の制限、金属回収令による装飾品の寄出、さらには空襲による被災や店舗の軍収用など、商業としての機能は著しく停滞しました。
戦後、高島屋は焼け跡からの復興と、傷ついた庶民の生活の復興に全力で取り組みました。1948年には、高島屋のシンボルとなる「バラ」の紙袋や包装紙のデザインが誕生します。美しく華やかなバラの包装紙は、復興に向かう人々の心に希望を与え、「高島屋のバラの包装紙で贈ることが最高のご進物」という独自のブランド価値を確立していきました。
高度経済成長期を迎えると、人々の消費行動はさらに多角化・大衆化していきました。高島屋は時代の潮流を先取りし、従来の都心型ターミナル店舗だけでなく、郊外型ショッピングセンターの開発にも着手します。1969年に開店した「玉川高島屋ショッピングセンター」(東京都世田谷区二子玉川)は、日本初の本格的な郊外型ショッピングセンターとして歴史に名を刻みました。車社会の到来を見越し、豊かな自然環境と上質な商業空間を融合させたこの試みは、新しいファミリー層のライフスタイルを創出し、その後の日本の商業施設開発に極めて大きな影響を与えました。
さらに高島屋は、グローバル化の面でも先駆的な役割を果たしました。1993年に開業したシンガポール高島屋(高島屋タカシマヤ・ショッピングセンター)は、現地で絶大な支持を集め、東南アジアにおけるランドマークとしての確固たる地位を築きました。海外の優れたラグジュアリーブランドを積極的に紹介する一方で、日本の優れた文化や食、伝統工芸を海外へ発信する架け橋としての役割を果たし続けたのです。
21世紀に入り、デジタル化の進展や消費者のニーズの細分化、インバウンド需要の変動など、百貨店業界を取り巻く環境は大きく変化しています。高島屋は、単に物品を販売する場所から、顧客一人ひとりの人生に寄り添う体験や感動を提供するコミュニティの場への再定義を進めています。グループの強みであるまちづくり型開発「まちづくり戦略」を通じ、店舗とその周辺地域が一体となって魅力を高める都市空間の創出に力を注いでいます。
天保の小さな古着屋から始まり、幕末・明治の試練を越えて美術工芸で世界を驚かせ、昭和の近代百貨店文化を華開かせ、現代の都市開発やグローバル展開へと至る高島屋の歩み。その約二百年に及ぶ壮大な歴史の根底には、時代がどれほど移り変わろうとも、「いつも、人から。」という理念のもと、真摯に顧客と向き合い、社会に新たな文化と豊かさを提供し続けようとする商人の執念と美学が、脈々と息づいているのです。